陰キャ上等

言いたいことも言えないこんな世の中じゃPOISON

おとももち

こんにちは。深夜25時です。

このブログですが、不定期も不定期、月に一度更新すれば良いんじゃないかなあくらいに思っています。読者いないので気にすることでもないのですが。

更新するときは大体いつも自省したときに、これは残しておかなきゃなあって思ったことがあった時ですかね。人生のメモ書きみたいな扱い。

 

今日は友達についてです。

私は友達が少ないです。ラノベタイトルかよってなりますが、事実本当に数えるくらいしか友達がいません。流石に両手で足りるとは言いませんが、足の指合わせたら分からないです。

だからこそ自分と付き合ってくれる友人は大事ですし、友人はほぼ親友みたいな感じです。知り合いは沢山いますが、知り合いは所詮知り合いで気が置ける程度の仲なんですね。

明日(今日?)も友人と遊ぶ約束をさっきしました。性格がぐるぐるしているぼくを嫌がらずに付き合ってくれる友人は大体普通に良い人です。その良い人の優しさに漬け込んで約束を取り付けました。卑怯ですね。

でも私は本当に寂しがりなので、とにかく今遊べるうちに沢山遊んでおきたいんです。これが今日の本題です。

 

私たちはいずれ社会に出ます。社会に出るとき、今の仲間はみんな別々の方へ行くのが普通でしょう。みんな仲良く同じ会社から内定、と言うわけには問屋が卸してくれないです。

そうなると新しい環境に行くわけですが、当然そこで新しい友人が各々にできるわけです。するとその分だけ今の友人に割く時間が減ります。大人になればなるほどこれは深刻で、今の友人といつまでも友人というわけには中々いかないのです。私はこれがとにかく嫌です。今の友人は今の私にとってかけがえがなく、将来の私の友人がどんな人であれその人より優先したい!と今の主観では思ってしまうんですね。まあまあ失礼。でもみんながみんなそうではない。今私を友人としてくれている人に、私より大事な友人ができる可能性は当然にあります。

そして、私の優先順位が年を経るごとに下がっていきます。そしてそして、私は今の友人と今以上に遊べる機会は十中八九無くなってしまうわけです。

 

だからこそ今沢山遊びたいのです。生き急いででも遊びたいのです。無理矢理でも卑怯でも、ありとあらゆる手を使ってでも遊びたいのです。今の友人は今なら月に何回でも遊べますが、あと数年もしたら一年に一回遊べれば良い方になってしまうのでしょう。そんなのは今の自分が嫌です。今、遊べる人と、遊べるだけ遊ぶのが何よりも優先だと私は思ってるのです。

 

もしこれを読んでる人がいるなら、勇気を出して明日遊びに行かない?くらいのノリでも今の友達を誘ってみたらいいのではないでしょうか。まあ勇気出さなくても誘えるくらいの仲なのが1番良いんですけど。今の友人は将来も明日遊びに行かない?で遊びに行ける友人であるとは限りませんからね。

 

書いてて思いましたが気が置けないって不思議な日本語ですね。。。

そんな人生メモでした。友達はみんな大好き。

元気とは

こんにちは。深夜3時です。

 

突然ですが私は所謂メンヘラの部類に当たると思っています。頻繁に夜中に病んだり、失恋だったり喧嘩だったりですぐにメンタルがブレイクして家で一人で泣いたりします。

そして何故か周りにもメンタルが脆い人が多く集まってきますね。類コール友。メンヘラはメンヘラ同士で傷を慰め合うのがこの世の常なのでしょうか。悲しい。

 

本題なのです。なんで人って夜中に病むんでしょうね。私はゴリゴリゴリラの文系なので、ホルモンバランスとかそういう生理的な問題に関しては疎く理論的な話はできませんしわかりません。なので右脳を使ってエモとノリで考えようと思います。

 

まず夜は暗いです。でも家の中にいれば電気があるわけで多分明るさはそんなに関係ないのだと思います。それにコンビニエンスストアという人類の英知があるので、今は真夜中でも街に明かりがあります。「街のホッとステーション」とはよく言ったものです。まあ近所にローソンないんですけど。なのでそういった環境的なものは関係ないのかなと思います。

 

じゃあ夜に病む原因は何かと言えば、やっぱり孤独なんじゃないかなと思います。心にダメージを与えるのは、「自分が1人でいる」という単なる事実はもちろんのこと、人間が1人でいるとしてしまう余計な考え事もあると思います。人間は考える葦なので。我々は賢いので。

夜はみんな寝ていて、誰が夜更かししているかなんて分からないです。今は便利な時代なのでいつでも誰とでも話せますが、それは相手が起きていてかつ自分の話に付き合ってくれる場合のみです。インスタのストーリーに「起きてる人〜」って上げても既読が付くだけで反応は何もないなんてザラです。つらい。

結局人間は社会的動物なので、誰かとコミュニケーションを取っていないと生きていけないのです。怪我をしたとき危険な状態だと分かるために怪我をした部分に痛みを感じるように、孤独な時は脳が「これは危険だから」と心に痛みを感じさせるようにできてるのかなあと思うわけです。そして孤独が続き心に痛みが走り続けると、心がそのうち死んでしまいます。孤独死とは心の死に体が追いつく現象だと思ってます。孤独死はしたくない。

 

怪我は手当てをすれば治ります。じゃあ心の痛みは何をしたら治るのでしょうね。ひとえに「元気を出す」と言ったって「元気とは何か」が分かってないと出しようがないですもの。

 

ここで、ONE PIECEのルフィについて語ろうと思います。あのイケイケ押せ押せノリのいいやつ全員友達、元気の権化みたいなキャラですら、作中何回も泣いたり病んだりしています。代表的なシーンはエースを失った後でしょうか。あのシーンは何度見ても胸が痛くなります。普段のテンションが50くらいの人が0に落ちたらその差は50ですが、普段が2000の人が0に落ちたらその差は2000なわけで。その回復にも2000の元気が必要になってくる。そらいくら歯が抜けたり毒を食らったりしたって無事なくらい頑強なルフィでも、メンタルブレイクには弱いんでしょう。ペローナが天敵すぎる。

じゃあルフィはどうやってその鬱期を乗り越えて回復したかと言えば、ジンベエの説得があったわけですね。

「無いものは無い!!!確認せい!!お前にまだ残っているものは何じゃ!!!」

作中指折りの名台詞。ルフィはこの台詞でまだ自分には仲間がいる、仲間がいるから希望があると、強くなる決心をして行くわけですね。

 

この残っているものをちゃんと見つめるっていうのが病まないための、或いは病みから抜け出すための大事なことなんだと思います。残っているものがあるならば、それらを全て使って生きることは絶対にできるはずです。極論ですが、友達がいなくても、家族がいなくても、手足がなくなっても生きている限り命は絶対にあります。じゃあ最後はその命を使って人の輪を広げれば良いのです。ちゃんと働けば見てくれる人は見てくれます。仕事を辞めたって死にはしません。手足を失ってもスポーツで世界一になっている人だっています。まあ極論なんですけど。

 

自分に何があるのか見つめるのは大事です。頼れるものは頼りましょう。縋れるものは縋りましょう。醜く地を這いずり雨に打たれて泥を舐め満身創痍になろうとも、生き抜いたものが勝者なのです。

このブログは誰に見られるでもなく書いていますが、もしネットの底からこれを拾い上げた人がいたなら、私があなたの頼れる蜘蛛の糸となりましょう。はいあなたの「まだあるもの」一つ増えた、ラッキーですね。

これぐらいの楽観精神で生きていけたらなと思います。私は幸いにも五体満足で友達も家族もいます。だから病んだとしても治るのも早いです。

これ2000字ですって。原稿用紙5枚とか読書感想文並じゃん。

 

結局元気とは何かの結論が出ていませんでしたね。私は元気とは心の余裕だと思います。病むとか虚無とかは、心をそれが支配している状態なのです。つまり心に余りスペースがなく、虚無がそこにあるのです。ドーナツの穴みたいに。そうした虚無が減って(?)、心の容量が増えると元気が出るのだと思います。というか元気は出すものではなく顔を見せるものだと捉えてます。心のスペースを確保して生きていけたら元気に生きられるのではないでしょうか。

 

どうやったら心のスペースが確保されるのかは、とりあえずドーナツは美味しいので確保してくれるんじゃないでしょうか。ドーナツの穴は味方です。気が滅入ってきたらミスドいきましょう。それかコンビニエンスストア

ではまた。

 

恋愛のアレや心のアレ

先日9/7は私の誕生日でした。21回目の誕生日もちゃんと家族や友達は祝ってくれて、プレゼントももらいました。

嬉しいは嬉しいのですが同時にショックなことも知りました。最近気になっていた子に彼氏がいることが分かりました。最後の最後にとんだサプライズ。しかも3ヶ月前からとのこと。親しくなって一年半くらい経ちますが何も知りませんでした。

 

自分は高校時代にラグビーをやっていたため体は頑強な方で、大学に来て下宿していても別に風邪なども引くことなく元気に過ごしていました。しかしこの一件を知って以来頭痛と咳、吐き気が止まらず、「病は気から」をひしひしと感じています。人体って脆くて面白い。

 

その子は非常に良い子で、今まで出会った人の中で一番優しいんじゃないかと思えるくらいでした。優しくされるとすぐ落ちる、オタク特有のアレ。昔一度告白したのですがあっさりもあっさり、フラれました。それからも付き合いは続き、友好関係は非常に良かったです。むしろ一度告白したためになんでも話せる仲になりました。でも向こうはそうではなかったみたいで、3ヶ月のラグはまあまあなショックでしたね。

と言うわけでぼくは今絶賛失意のズンドコベロンチョにいるわけです。なんか楽しそう。

 

失恋というのは何度しても慣れないもので、中々このメンタルを乗り越えるだけの気力は湧いてこないわけです。そこで私はとりあえず心の自傷行為に走りました。痛みに負荷をかけて、失恋の痛みに慣れさせようという魂胆です。まあ多分下手するとメンタルの許容量を天元突破してパッと死ぬかもしれないんですが。そんなギガドリルハートブレイクなんてそうそう起こらないですし、人間は案外強い生き物だと信じています。

とりあえず共鳴できる失恋ソングを聴いては泣き聴いては泣き、何周も聴いて慣れてきたら今度は歌って声に出してまた泣く。聴くだけと声に出して歌うのでは全然メンタルへの負荷が違いますね。言葉にすることで自分が好きだったという自覚を実感し、歌声は震え、吐息は嗚咽に変わり、それはそれは大の成人男性が号泣してしまうわけです。情けないですね、誰も観てないのが幸いです。

昔はボカロ=VOCALOIDにハマっていたため、とりあえず「ボカロ 失恋」でYouTube検索をかけるとすぐに沢山ヒットしました。ボカロは圧倒的に曲数・作詞者数が多いので、失恋に限らず自分の心情に合う曲を見つけやすく普通のJPOPの中から探すよりオススメです。ちなみにジミーサムPさんの「Calc.」Omoiさんの「過去形にできますか」のぼる↑さんの「適度なカンケイ」あたりが私の今の心情に近いです。とてもしんどい。

これが吉と出るか凶と出るのか今は全く分かりませんが、涙が出にくくなってくると強くなったのかなと思います。感情が死んでるだけなのかもしれませんが。

 

今回得た教訓は想いは隠しても何にもならんということですね。好きになったら好きになったときに伝えましょう。生まれたばかりの恋心は勘違い程度かもしれませんが、胸の内で潜め続けると後悔にしかなりません。伝えたいと思ったら伝えるのが良いです。別に恋愛に限らず、日本人は良く察する生き物ですが、それでも伝わりづらい感情の方が多いと思います。笑いながら怒り、笑いながら悲しみ、そんな人は沢山います。気持ちを言語化するのは照れ臭いですが、隠し続けても良いことには転じません。無論相手を傷つける事をズケズケと言う自称サバサバ系或いは無神経になれってことじゃないです。嫌なことは嫌と言うべきですが、それが自分のエゴなのか人間なら誰でも嫌なことなのかは分別つけましょう。

 

私はメンタルが子供なので、まだその子のことが好きです。自分でも驚きなのですが、寝たら忘れるなんて浅い恋心ではありませんでした。とてもしんどい。

理知的な左脳は「あの子にはもう彼氏がいるんだから諦めろ」って訴えてくるのですが、感情的な右脳くんは「うるせえ好きなものは好きなんじゃい!!!」で押し通してきます。この右脳くんの主張は左脳がどれだけ理性的に考えても全部跳ね返すほど強く、頑なです。どうしろと。

自分を励ます曲も勿論沢山知ってますし、他に自分のメンタルをポジティブな方へ持っていく手札は抱えているつもりです。牛丼汁だくみたいなジャンクで美味しいもの食べるとか。それでも簡単に切り替えられるものじゃないのが恋心。或いはこの失恋の痛みも味わっていたいのかもしれません。そうすればあの子のことが好きだと言う自覚が甘い気持ちにしてくれます。

 

心地よい自傷行為。苦く甘い失恋、そんな話でした。

自己紹介

はじめまして。

 

自分の感情を言語化するためにTwitterやらなんやらやってきましたが、この度ふとにブログを始めようと思いました。中学生ぶり。厨二の頃のブログはネットの泥の底にあります。

 

色んなサービスで色んなHNを使ってきたのではてなブログで使う名前は未定です。しばらくは未定さんです。

 

未定さんは現在大学生です。と言ってもコロナで夢のキャンパスライフは全部吹っ飛びましたが。うんコロナ。

 

成人はしてます。カクテルを作るのが趣味ですが本人は下戸なので一日一杯が作る限界です。飲むのは五杯くらいまで。

 

コスプレ造形みたいなこともしてます。まあ趣味以下ですが。なのでたまにクリエイターみたいなことも口走ります。

 

色んなことに手を出して全てが中途半端なので、多分このブログもそのうち中途半端に終わると思います。とりあえずは気ままに続けます。

 

誰かの暇つぶしになればいいなあ程度に思ってます。誰にも見られなくても別に気にしないです。日常の掃き溜め。愚痴の墓場。そんな場所です。